「不倫」を繰り返したいのなら、そもそも「結婚」しなければよい

はじめに

フリーランス11年目のkazu-tです(中年男性)。今回は「フリーランス」は関係ありません。

以下の記事を読みました。

news.livedoor.com

これを読んで思ったことを簡単に記します。

「公共の電波」を使って垂れ流した「嘘の反省」

前回の不倫が発覚した直後に、千原せいじ氏はテレビに出て「反省の弁」を述べていました。(例えば「千原せいじ ワイドナショー」というキーワードで検索すると記事が出てくると思います)。

しかし今回の記事(冒頭で紹介した記事)を読む限り、この「反省の弁」は嘘だったのだろうと私には感じられました。

すなわち、前回の不倫が発覚した際に、国民の公共物である電波(テレビ)を使って「嘘の反省」を垂れ流していた訳で、この一点をもってしても、「今後はテレビに出る資格は無い」ように私は感じました。

そもそも「反省」しなければ良い

「不倫」というのは刑事罰がある訳でも無いし、そういう意味では「やりたければ個人の自由でやれば良い」という類の話かも知れません。

私自身は「不倫」なんて考えたこともありませんし、また「不倫」という行為を軽蔑しますが、それは私の価値観であり、それを抜きに考えれば「やりたければ個人の自由でやれば良い」とも思える、という意味です。

従って千原せいじ氏が「不倫」をしたくてしょうがないのなら、発覚した時に「反省の弁」など述べずに、「これからも不倫を続けます」と公言すれば良いだけの話です。

それを、「テレビ等での自身のイメージを少しでも良くする為」なのか、もしくは関係者への配慮なのか、何なのか知りませんが、どのような理由にしても、公共の電波を使って「嘘の反省」を垂れ流すなど、そのような行いを私は心底から軽蔑します。

そもそも「結婚」しなければ良い

もっと「そもそも論」の話として、色んな女性にモテたくて仕方ないのなら、そもそも「何故に結婚してるんだ?」という話だと思います。

過去に「つい結婚してしまった」のであれば、離婚してその関係を清算し、そして自由恋愛を楽しめば良いだけの話です。

おわりに(私が「不倫」を嫌う訳)

私は「不倫」という行いがかなり嫌いなのですが(結婚関係のある夫婦の話の他、恋人関係にある人の「浮気」も含む)、その理由は以下の通りです。

夫婦(家庭)とか恋人とか、「いつでも帰れる場所」を用意した上で、その相手を裏切りながら自らの欲望に走るような行為が「不倫」である訳ですから、どのように考えても「人間のクズの行い」としか思えない訳です。

配偶者(恋人)より好きな人が出来たのであれば、配偶者(恋人)とは別れて次の人に向かうのは「人間として当たり前」だと思います。

「稼げない」のは誰のせい?

はじめに

フリーランス11年目のkazu-tです(中年男性)。今回は「稼げる」「稼げない」に関して簡単に記してみたいと思います。

とあるタクシードライバーとの会話

もう随分前の話ですが、タクシーに乗った時の、タクシードライバーとの会話です。ちなみに当時は、「タクシー運転手は給料が安くて大変だ」みたいな報道等をよく目にしていた時期でした。

私:「このタクシー、めっちゃ高級車ですね。個人タクシーですよね。」

ドライバー:「そうです。私、すごくクルマが好きなもので。」

私:「僕もめっちゃクルマが好きです。今でもMT(マニュアル)車に乗ってます!」

ドライバー:「ええっ!そうなんですか!」

私:「ところで最近は不景気で、タクシーの仕事も稼げなくて大変だなんてニュースなどでよく聞きますが。」

ドライバー:「全然そんなことはありません。普通に稼げる仕事です。」

私:「そうなんですね。ニュースなどでの印象とは違いますね。」

ドライバー:「私もそういうニュースは見たことがありますが、やれどこかの会社をリストラされた人がタクシー業界に来て稼げないとか、稼げなくて当たり前ですよね。前の仕事でも稼げないからリストラされる訳で、そういう能力の人が、他に就職先が無いからと仕方なくタクシー業界に来たって、稼げないのは当たり前です」

私:「確かに。」

ドライバー:「逆に言えば、そんな人でも稼げたら、そんな業界は『真面目に頑張る人』が居なくなります」

私:「なるほど。」

という感じで、会話を一字一句覚えている訳ではありませんので、適当に会話を作って上記を記しましたが、会話の趣旨は正確です。ちなみに上記の会話の後に、ご自身が駆け出しの時にどのような努力や工夫をしたかも話して下さいました。「やっぱり人並み以上に稼げるようになる人と言うのは、そこまで努力しているのだな」なんて素直に感動した記憶があります。

「稼げない」のは誰のせい?

確かにその業界の構造的な理由より「稼げない」という職種はあるようにも感じていますが、最低でも「タクシー業界」は違う(稼ごうと思えば稼げる)と思います。

何故なら「タクシー業界」には、「個人タクシー」という道が昔から確立されている為です。

ようは、「タクシー業界」に限らず、個人(フリーランス)で開業出来る業種なのであれば、稼ごうと思えば誰だって稼げるはずです。

すなわち、周囲の同業者よりも高い技術力を身に付けて、また顧客からの信用を得て、その「自らの力」を背景に仕事を高単価で請けて稼げば良いだけだからです。

そのような「自らの力」さえあれば、形態は個人(フリーランス)であっても稼げますし、もしくは勤め人(サラリーマン)であっても「同業者として開業されるくらいならウチで高給で働いてもらおう」という会社に雇ってもらえたりして、結局は「稼げる」と思います。

そのような業界に居ると、周囲には必ず「大きく稼いでいる人」が居ますので、そうであるにも関わらず自分が稼げていない場合は、それは社会のせいでも運のせいでも会社のせいでもなく、「自分に何かが足りない」か「自分には向いていない」か、いずれにしても「自分のせい」でしょう。

おわりに(自分のこと)

私の業界にも「一人でフリーランスでやっている」という人は昔から居るのですが(昔はフリーランスという言葉は無かったので自営業と言っていた)、統計的には調べてませんので肌感覚ですが、それほど大きく稼いでいる人が多い印象はありませんし、またこの二十数年、デフレの時代が続くと共に数は減っているようにも感じています。

私がフリーランスになったのは約11年前なので、上記のように感じている「最中」だった訳ですが、私は自分が「稼げないかも」と考えたことはありませんし、実際にこの約11年間、「稼げなくなってきた」ということもありません。

そして今後も、今まで身に付けた技術力や経験を用いて、必要な部分をアップデートしながら、今まで通り働いていれば、加齢による体力低下により労働時間が減って収入が減るという側面はあるかも知れませんが、最低でも単価(収入÷労働時間)が大きく落ち込むことは無いだろうと楽観的に考えています。

「フリーランスが善で、サラリーマンが悪」でも無ければ、その逆でも無い件

はじめに

フリーランス11年目のkazu-tです(中年男性)。

私はそこそこフリーランス歴が長いですが、それでも、

「とにかくサラリーマンなんて辞めて、フリーランスになればみんな幸せ!」

みたいな極論には、あまり賛成しません。

すなわち、それぞれに「良い点と悪い点」があるのでしょうし、また人それぞれ「向き不向き」があるのだろうと思います。

「向いていない」のに無理して続けるのは疑問

例えばサラリーマン男性で言うと、結婚して奥さんが「夫婦で一緒に居たいタイプ」であったりとか、もしくは小さな子供が「明らかに父親が近くに居たほうが良いタイプ」であることが明らかに判明しているにも関わらず、無理して「転勤族」を続けている人が居るとするならば、それは同じサラリーマンであってもせめて「転勤の無い仕事」に転職すれば良いように思います。

もしくは親との関係が良好で、年老いた親の近くに居たいにも関わらず遠方で勤務していたりとか、そういうケースも普通に「近場に転職」すれば良いように思う訳です。

他にも色んなケースがあると思いますが、「夫婦関係」とか「子育て」とか「親との関係」とか、そういったものは人間として最も大切な部分であると思うのですが、そこを犠牲にする「仕事」ってどうなのかな?と純粋に思う訳です。

もちろん、色んな事情で転職出来ないケースも多いのでしょうが、

「一旦、新卒で立派な会社に入ったからには、何があっても辞められない」

的な、大した根拠も無い思い込みで、人間として大切な何かを犠牲にし続けるのであれば、それは大変疑問に思います。

そして、業種にもよりますが独立が可能な内容で、かつ自分自身の技術力に自信があるのであれば、それこそ「フリーランス」になれば、上記の「大切なものに関わる時間」と「十分な稼ぎ」は両立可能です。

一方で「使命感」によりサラリーマンを続ける方も居る

例えば電力会社の一員として「国民に電力を安定的に供給する」ことに使命感を感じてサラリーマンを続けている、というような方も世の中には居られます。

そのような使命感というのは、上で述べた「大切なもの」と同等以上に尊いものであると私は思っています。そして「電力の供給」という仕事は、基本的には「フリーランスで一人になっても続けられる職種」では無いでしょうし、そしてそのような職種が世の中には山ほどある訳です。

そして、「世の中の労働者が全てフリーランス」となってしまったら、世の中が上手く回らなくなるのは想像に難くありません。

「とにかくフリーランスが善で、サラリーマンは悪だ」みたいな論調に私があまり賛成しない最も大きな理由が、ここで述べたものとなります。

「文句ばっかり言っている人」に魅力が無いのは、サラリーマンでもフリーランスでも同じ

サラリーマンの方で「会社が悪い」「給料が安い」と文句ばっかり言っている人には魅力を感じませんし、そもそも自分の能力が不当に低く評価されて給料が安いのであれば、転職するなり独立するなりして「自分の高い能力」を妥当に評価してもらって高給を稼げば良いだけの話にしか聞こえません。

逆にフリーランス(自営業)の場合も同じで「景気が悪い」「時代が悪い」そして「収入が不安定だ」と嘆くのであれば、安定的に収入が得られるサラリーマンになれば良いだけの話で、「ちょっと景気や時代が推移しただけ」で十分に稼げるだけの技術力がある人であれば、サラリーマンになってもそこそこ稼げるはずだ、という話に過ぎないように思うのです。

自分にしっかりとした信念があって技術力がある人なのであれば、立場がサラリーマンだろうとフリーランスだろうと、その立場に関わらずそれなりの仕事とお金が回ってくるように思います。

おわりに

以上、「フリーランスが善で、サラリーマンが悪」でも無ければ、その逆でも無く「人それぞれだろう」と思う点に関して簡単に記してみました。

「フリーランス」であるが故に確保出来る、貴重な「家族との時間」

はじめに

フリーランス11年目のkazu-tです(中年男性)。

15年ほど前に結婚した当初は、普通のサラリーマンでは無かったのですが(新卒で就職した会社は辞めた後だった)、零細な個人事務所に「勤務」していたので、仕事の内容的にはサラリーマン的では無かったものの、勤務形態としては普通に「朝に出社して、夜に家に帰る」形態でした。

繁忙期はそれこそ「朝の10時に出社して、会社を出るのは24時前後」みたいなことは「日常茶飯事」という感じでした。新婚の時から、何年かして子供が生まれた後も状況はずっと同じでした。繁忙期が「ごくたまに」なら良いのですが、一年の内の半分以上は繁忙期という感じでしたので、「家族との時間」を十分に取れているとは言いがたい状況でした。

そして、子供が一歳児の時に、その事務所を辞めて独立し「フリーランス」となりました。

フリーランスとなり、貴重な「家族との時間」が確保出来る理由

■迷わず「仕事場は自宅」に決定

フリーランスを始める際、仕事場は外に部屋を賃貸で借りることは全く考えず、迷わず「自宅の一室」に決定しました。

賃貸で借りたりするのが面倒という理由もありましたが、やはり「ずっと家に居るほうが家族との時間を取りやすいから」という点が大きな理由でした。

■「気持ちの切り替え」が必要

自宅で仕事を始めてからは、毎日のように子供と遊ぶことが出来ますし、家族揃って食事を取ることも出来ますし、「十分だ」と言いきってしまえるほどに「家族との時間」を取ることが出来ました。

ただ、「気持ちの切り替え」が必ず必要で、例えば繁忙期なら仕事をする時間(仕事量)は「勤め人」の時と変わらない訳ですので(1日12時間とか普通にします)、家族揃って夕食を食べて、その際にビールを飲んで、その後に酔い覚ましをしながら子供と遊んだり風呂に入ったりして、夕食を食べ始めてから3~4時間経って妻と子供は寝てしまって、そこから「気持ちを切り替えて」仕事を再開して夜中まで働いたりするのは「日常茶飯事」です(これは今でもずっとそうです)。

「夕食を食べて風呂に入ってくつろいだ後には、もう仕事はしたくない」という話はけっこう聞きますので、そういう人だと上記のような感じにはならないのでしょうが(と言うかそもそも「自宅」を仕事場にはしないかも)、私は全く気にならないタイプですので、より「家族との時間」を取りやすかったのかも知れません。

■「通勤時間」が不要なのは大きい

新卒で入った会社でのサラリーマン時代は往復で二時間弱、その次の零細事務所勤務時代も少し改善されたとは言え往復で一時間程度は「通勤」に費やしていました。

それが「自宅でのフリーランス」になり通勤時間は「ゼロ」となった訳です。

繁忙期の「1日12時間程度働く」時期は当然のことながら、普通に「1日8時間程度働く」時期であっても、この「通勤に1~2時間要するのか、それともゼロなのか」という違いはめちゃくちゃ大きいというのが私の実感です。

■「無駄な出社」が不要なのも大きい

一年の内の半分以上は繁忙期なのですが、逆に「めっちゃ暇」という時期もあります。

サラリーマン(勤め人)の場合だと、仕事が全く無い時でも「とりあえず出勤」して、取引先からの連絡が無いかと待ちながら、結局何も連絡が無い中で、無為に「何かの片付け」をしたりとか、そういう時もけっこうありました。

フリーランスになってからは、自宅で仕事をしている訳ですから、仕事が無ければそのまま自宅で休めば良いですし、近くであれば自由に出歩いても良い訳で、妻の買い物に付き合ったり等も普通に出来る訳です。取引先からの連絡は自分の携帯電話に入るので、何の問題もありません。

このような部分も「家族との時間が出来る」ことに、大きく寄与していると思います。

■「仕事量の調整」も自分の思うまま

上で「繁忙期」があるとか、逆に「めっちゃ暇」な時があるなどと書きましたが、サラリーマン(勤め人)の時代はそれを自分では決められない訳ですが(会社の都合で決まる)、フリーランスになってからは、実はそれさえも自分で決めています。

すなわち、生活費ギリギリを稼ぐだけなら一年間の半分程度を「めっちゃ暇」にも出来ますし、逆に一年間ずっと繁忙期とすれば「めっちゃ稼げる」訳で、そのような配分を自分で決めている訳です。

「なかなか仕事が無い」というケースの場合は事情は異なるのでしょうが、私の場合は幸いにも「断るほど仕事の依頼があって、請けたり断ったりしている」という状態がずっと続いていますので、仕事量の調整は自分で出来る訳です。

と言う訳で、基本的に私は仕事好きな人間ではありますが、よほど特殊な時を除き、「家族との時間」も十分に取れるような仕事量となるように自ら調整しています。

おわりに

以上、フリーランス11年目の私の「家族との時間」に関して記してみました。

子供(一人息子)は現在小学六年生(12歳)で、子供が1歳の時にフリーランスを始めてから、この約11年間はずっと「家族の時間」が取れている訳ですが、小さな時には一緒に遊んだりとか、幼稚園や学校に行くようになり昼間は家に居なくなっても夕食はずっと一緒に食べられますし、夕食後に一緒に遊んだりとか、勉強を見たりとか、また休日の部活の試合を毎回観戦に行ったりとか、「子供と共に過ごす時間」が十分に取れているのが有り難いなと常々思っています。

また、妻との会話の時間も相当に取れていますので(子供が学校に行っている昼間は私と妻の二人なので)、その点も非常に良いと思っています。

私が「脱サラ」して「フリーランス」になるのに迷いが無かった理由

はじめに

フリーランス11年目のkazu-tです。

私の働き方のざっくりとした推移を書くと、

①新卒でサラリーマンを約9年間

②零細事務所に再就職して約6年間

③独立してフリーランスで11年目←今ココ

という感じです。立場や時代によって直接的な作業の内容は変わりますが(分かりやすい話で言えば、昔は手書きで製図→今はCADで作図)、ずっと同じ業種で仕事をしています。(設計の(ような)仕事をしています)。

①から②に移る時点で、「脱サラ」して「フリーランス」になったようなものです。と言うのも②の零細事務所というのは事業主の方の個人事務所で(法人ではなく個人事業主)、①の時代に色々経緯があってその事務所に勤めることになりましたが、実質的には自分は個別に仕事をしていた感じでしたので、いわゆる「サラリーマンをしている」という感覚はありませんでした。(従ってここを辞めて③に移っても顧客や仕事の内容はほとんど変わらなかった)。

と言う訳で、①から②へと「脱サラ」して「フリーランス」になる際に、大した迷いが生じなかった理由を今回は書きたいと思います。

私が「脱サラ」して「フリーランス」になるのに迷いが無かった理由

■「脱サラ」であるが故に「内情」を知っていた

①でサラリーマンをしていた時代は、

A社(そこそこ大きな会社)
↓委託
B社(零細事務所または個人)

という流れの中のA社でサラリーマンをしていた訳ですが、従って通常は「細部の設計的な作業」は立場的にはやらないのですが(委託先のB社の仕事)、私はA社の立場の仕事をしながら、本来はB社に任せるべき仕事の一部を委託せずに自分でやっていました。

理由ですが、委託した際に委託先(B社)から納品される成果の「質の低さ」に納得出来ないケースが多かった為です(B社と言っても実際には何社もあって、中には納得出来る委託先もありましたが)。

最初に上司に「委託せずに自分でやります」と言った時に、「自分の本来の仕事をやっていたら、そんなことしている時間は無いだろう」と言われたのですが、「時間外にやります」と言って、定時を過ぎてからとか、休日などにサービス残業でやっていました。ちなみにサービス残業(無償)でやること自体は、自分の技術の習得にもなるし、また自分の担当している仕事全体の質も上がるので、それほど大きな不満は無かったです。(今の時代はコンプライアンス(長時間労働はダメ)の観点から許されないのでしょうが…)。

と言う訳で、自分が居る業界で自分がB社の立場に行った場合に競争相手となる「同業者」の平均的なレベルがどの程度か分かっていたし、またどの程度の金額で委託されるのかも知ってましたので、そういう「内情」をしっているが故に、「脱サラ」してそちら側に行くことに大した迷いは無かったのだろうと思います。

■そもそもサラリーマンに向いてない

私のサラリーマン時代は「飲み会の誘いは原則的に断る」「忙しければ大晦日も元旦も出勤していた」(9年間で休んだ年は一年だけ)、みたいな感じでしたので、そういう意味では明らかに「浮いている存在」でした。

まあ、そんな感じの「働き過ぎ」の部分で前述したような「余分な仕事」を無償でやっている訳ですから、上司が文句を言うことはありませんし、また会社からの評価も高かったのですが(担当している仕事の出来が良い為)、いわゆる同僚の人たちから見れば「何じゃアイツは」みたいな感じだったと思います。

そんな変わった「サラリーマン生活」が長く続くと思っていませんでしたし、また年齢が上がって管理職の立場にならなければいけなくなると、それこそ「細部の設計的な作業をやりたい」みたいなことは言ってられなくなりますし(ずっとやっていたかった)、通勤電車も嫌いで会社の近くに月極駐車場を借りてクルマ通勤をしているような状態でしたので(電車が動いていない深夜に行き来することが多いと言う理由もあった)、そんなサラリーマン生活を9年間も続けて、会社に対する恩返し(技術を習得する為の環境を与えてくれたことに対する恩返し)も十分出来たと感じていましたので、いざ辞めると決める際には大した迷いは無かったのだろうと思います。

おわりに(迷っている人へ)

最初のサラリーマン生活を9年間も続けたのは、後から考えれば明らかに「長すぎ」でして、もっと早くに脱サラ出来たのだろうと思うので、そういう意味では一種の「迷い」があったのかも知れません。

すなわち、「辞めたら十分に稼げなくなるかも知れない」みたいな迷いはもっと早い段階から無かったし、「サラリーマンを続けていても自分に向いている部分なんて何も無い」という確信ももっと早い段階からあったのでしょうが、上司や偉いさんからは非常に気に入られていたりして心地が良かったり、もしくは会社に対する「愛情」みたいなものが芽生えていたりして、そういう部分により「辞めた後」のことよりも、むしろ「辞めることそのもの」に対する迷いがあったのだろうと今になっては思います。

と言う訳で、もし「脱サラして独立しようか迷っている」という人が居たら、その「迷い」の原因は何なのかを自らはっきりさせて、その「迷い」が辞めた後の将来に関するものならしっかり考えたほうが良いのでしょうが、「断ち切れない会社への想い」的なものであれば、スパッと断ち切ってしまえば良いように思います。